私の目の前にいる、今のあなたがすべてと言えたのならば【ある男】ネタバレあり感想

映画レビュー
https://eiga.com/movie/95596/photo/

ある不幸に見舞われたリエ(演:安藤サクラ)は夫と別れ、幼い息子を連れて故郷の宮崎に帰る。そこで大祐(演:窪田正孝)という寡黙な男と出会い、結婚。心に傷を負った2人は新たに生まれた子供と4人でささやかな幸せを築いていたが、ある日突然、不慮の事故で大祐が亡くなってしまう。悲しみに暮れる中、法要の日、疎遠だった大祐の兄・恭一がやって来る。遺影の写真を見た恭一はリエに、「この男は大祐じゃない」と言い放つ。愛したはずの夫は、「大祐」とはまったく別人だったのだ。リエは、かつて離婚の際に世話になった弁護士の城戸(演:妻夫木聡)に、亡くなった夫の身元調査を依頼する。その中で大祐と名乗っていた「ある男」の人生が見えてきて…。

鑑賞後、重厚なミステリー小説を読み終えたような気分になった。俳優さんたち皆の演技が素晴らしく、抑えた中にも狂気や苦悩が滲み出ていた。特に好青年役の多い妻夫木聡さんや、とある重要な役で登場する柄本明さんの演技に何度か本気で「怖い」と感じるシーンがあった。

物語の中盤からは妻夫木聡さん演じる弁護士の城戸が「ある男」の素性を追うことでストーリーを推進していく。城戸自身も在日韓国人というルーツを持ち、弁護士として仕事で成功を収め裕福な家庭を築いているように見えながらも、自分自身では変えることのできないルーツにより、不当な差別を受け他者からレッテルを貼られている。城戸は、他人の人生を名乗ることでしか生きられない男たちの人生に触れていく中で、次第に自分自身を見失っていく。

ラストは城戸が、酒場で初めて会った相手に自分の素性を和やかに語るシーンで終わる。男性にすらすらと語る自分の職業、家族構成は、すべて「大祐」のものだ。映画を観てきて城戸に感情移入した上だと、あまりにも自然に他人の人生を自分の人生かのように語る城戸に、とてもゾッとした。映画を通して描いてきた「他人の人生を生きるということ」「他人の人生を騙るということ」はこのシーンに繋がる伏線だったかのようにも思えた。初対面の相手でもそうではなくても、自分の素性や経歴について小さなウソをついてしまうことはきっと誰でもあるだろう。でも他人の人生を自分の人生のように語るのは、どこか一線を越える恐ろしい行為のような気がしてしまう自分は、恵まれた人生を歩んできたということなのだろうか。自分の人生にウソを盛り込むのと、他人の人生をなぞって生きることではわけが違うと感じるのだ。

第二次世界大戦中、ナチスはドイツやチェコスロバキアに住むユダヤ人を血眼で探そうとした。知らずに接していたらわからないのに、その事実だけで対応を変えるためにだ。本作の城戸の両親(もしくは祖父母)が、母国の国籍を失っても帰化を選ぶ理由には、どういった背景があったのだろうか。人種や家族構成、経歴、肩書。自分に責任があってもなくても、時には生まれたときから付きまとうその人の肩書や背景ではなく、今、生きている人生だけでその人の価値を知ることができたのならば。でもリエにとって大祐は、リエの目の前にいる、今の大祐だけがすべだった。だからこそ2人が出会ってから過ごした時間は確かに幸せで、一緒に歩んできた人生は本物だったのだろう。

コメント

タイトルとURLをコピーしました