舞台はローマの高級住宅街のアパート。妊婦の女性、モニカがお産のために道端でタクシーを拾おうとしている目の前で、一台の車が1人の女性をはね、そのままモニカの住むアパートに突っ込むという衝撃的なシーンから映画は始まる。運転していたのはそのアパートに住む裁判官夫妻のどら息子、アンドレア。車が突っ込んだ1階に住むルーチョとサラは、娘を朝まで向かいの老夫婦の家に預ける。後日、認知症が始まっている老夫婦の旦那と娘が行方不明になってしまい、ルーチョは娘が老人によからぬことをされているのではないかという疑念に取り憑かれる。
1つの事件から浮き彫りになる3家族のひずみや綻びが、10年のスパンで描かれた映画だ。
上映後に、家族問題に長年取り組んで来られたという精神科医の斎藤学先生のトークショー付きで鑑賞。先生の解説がかなり興味深く、作中に登場する主に男性陣を精神医学の観点から、あいつはダメ、奥さんは出て行って正解、とバッサバッサと切っていて非常に興味深かった。
先生いわく、親の、子供に対する役割は3つ。1つは抱きしめること、2つめは規制を設けること、3つめは子離れすること。これらのどれが上手くいかなかったり、父または母に配分が偏りすぎていると家族に歪みが生じてしまうとのこと。これを念頭に置くと、映画に出てきた家族たちの言動がさらに興味深く思えました。
10年の時の流れの中で旧来の価値観や自分が正しいと思う考えから抜け出せない男性陣に対して、その役割から逃れて自分なりの生き方や幸せを得ようと模索する女性たちが対比的に描かれている。トークショーで斎藤先生が「イタリアの女性の微笑みはモナリザの微笑み。悲しいのか幸福なのか表情が読めないけれど確かに自己肯定をしているあの微笑みには不思議な魅力がある」と仰っていたのが印象的だった。
認知症の方に対する世間の残酷な目、理解のなさという点では「ファーザー」も思い出しました。
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